こんにちは。ろーれる(@Laurel_DKO0930)です。
ハリウッド製の時代劇映画『沈黙ーサイレンスー』を観ました。
江戸時代のキリシタン弾圧を題材にした遠藤周作の小説『沈黙』を、巨匠マーティン・スコセッシ監督が映画化した作品です。
重たい内容の映画ですが、約2時間40分という時間を感じさせないヒューマンドラマです。
- 時代劇・歴史劇
- 人間の複雑な心理、葛藤を描くドラマ
- 日米の豪華キャストの競演
どんな映画? 〜概要〜
タイトル | 沈黙ーサイレンスー |
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監督 | マーティン・スコセッシ |
脚本 | ジェイ・コックス マーティン・スコセッシ |
原作 | 遠藤周作『沈黙』 |
出演 | アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライヴァー 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ |
上映時間 | 159分 |
劇場公開日(日本) | 2017年1月21日 |
配給(日本) | KADOKAWA |
観賞劇場・媒体 | Amazon Prime Video ※Prime会員特典作品 |
簡単なあらすじ
17世紀初頭。
イエズス会の宣教師フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)が、日本で棄教したという情報がもたらされた。
二人の若き宣教師ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルぺ(アダム・ドライヴァー)は、尊敬するフェレイラの棄教を信じることができない。
情報の真偽を確かめるため、キリスト教を布教するために、ロドリゴとガルペは日本に行くことを決意する。
キリシタンである日本人キチジロー(窪塚洋介)の案内で、日本の漁村にたどり着いた二人。
そこで目にしたのは、キリシタンである村人たちが弾圧される残酷な光景だった。
ロドリゴは五島で、ガルペは平戸で布教を行うために、二人は行動を別にする。
しかしロドリゴはキチジローの裏切りにあい、囚われの身になってしまう。
長崎奉行・井上筑後守(イッセー尾形)は、ロドリゴに棄教を迫る。
拒否し続けるロドリゴの前で、キリシタン達が次々に虐殺されていく。
信仰を守り抜くか、目の前の命を救うために棄教するのか。
ロドリゴは残酷な選択を迫られる。
登場人物
ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)
イエズス会の宣教師です。
師のフェレイラが棄教したという話を聞き、ガルペと共に日本に向かいます。
キリスト教の教義にあくまでも忠実にあろうとするガルペに対し、ロドリゴは現実的な考え方をする人間です。
日本人キリシタンが教義を誤解していても、無理に修正しようとはしません。
彼らの信仰を尊重し、寄り添う努力をします。
命が救われるならば、踏み絵くらいOKだと信徒たちに説きます。
柔軟な考え方の持ち主ですが、その性格ゆえに悩み、苦しみます。
長崎奉行の井上がガルペではなく、ロドリゴに対して執拗に棄教を迫るのは、彼の性格を見抜いていたからかもしれません。
ガルぺ(アダム・ドライヴァー)
ロドリゴと共に日本へ渡った宣教師。
現実的なロドリゴに比べ、教義に対して厳格な考え方の持ち主です。
キリシタンが教義を誤解していると訂正したり、死んでも踏み絵はダメと言ったり、融通のきかないタイプです。
ガルペは教義という絶対的な基準を持っていますので、弾圧に絶望したとしても、その信念が揺らぐことはありません。
信仰が最上位にあり、そのために命を落とすのはキリスト者として当然だと考えています。
この点について、ガルペが葛藤することはありません。
フェレイラ神父(リーアム・ニーソン)
イエズス会の宣教師として日本に渡りますが、苛酷な拷問の結果、棄教して日本人として暮らしています。
フェレイラほどの人物が、信仰ではなく命を選んだというのは、ロドリゴとガルペに対して衝撃的な出来事でした。
囚われの身になったロドリゴと再会し、棄教を勧めます。
もしキリストが我々と同じ立場にいたら、キリシタンの命を救うために棄教するのではないか?と重大な命題をロドリゴに投げかけます。
キチジロー(窪塚洋介)
日本人の漁師。
命惜しさに踏み絵をしますが、彼の家族は信仰を守り抜いたため、目の前で焼き殺されます。
ロドリゴに罪を告解し、赦しをこいますが、そのロドリゴを長崎奉行に売り渡します。
それでも信仰は捨てず、囚われの身になったロドリゴに赦しを求めてつきまといます。
言動に一貫性がない人物に見えますが、信仰は絶対ではないという意味では一貫しているのかも。
ガルペとは対極の意味で、ロドリゴと対比される人物です。
井上筑後守(イッセー尾形)
長崎奉行として、キリシタン弾圧の指揮をとります。
物腰は柔らかいのですが、現実を直視する冷徹な人間です。
フェレイラでさえ、井上の前では教義を捨ててしまいました。
お前はキリシタンを救っているどころか、あいつらを死に追いやっている、とロドリゴに棄教を迫ります。
イッセー尾形さんが飄々と演じていますが、その裏側に井上の冷徹さが感じられ、凄みがあります。
『沈黙ーサイレンスー』レビュー
海外製の時代劇あるある「これ中国やん」感が無い
時代劇に限ったことではないかもしれませんが、外国人が作る日本の映画ってかなり違和感があるものが多いですよね。
建物とか衣裳とか、時には演技そのものも。
みたいな。
『沈黙ーサイレンスー』ではそんな違和感はほとんどなく、物語に没頭できます。
ヒロ・マスダさんの『日本の映画産業を殺すクールジャパンマネー』という本にも書かれていましたが、撮影地は日本ではなく台湾だそうです。
むしろ日本の時代劇よりも細部が丁寧に作り込まれており、ハリウッドの力を見せつけられる作品です。
「お互い面倒臭いことはやめにして、さっさとキリスト踏んでよ」みたいな、いかにも日本人的なセリフもあり、脚本も演技も観ていて違和感が全くありません。
「信仰」と「救済」の対立 キリスト自身なら?
本来なら信仰することで救済され、救済されるために信仰するのだと思いますが、『沈黙ーサイレンス』では信仰と救済が対立軸になっています。
自分が信仰を捨てることによって、苦しむ人間たちを救うことができる、という状況に追い込まれるロドリゴ。
フェレイラは「キリストだったら、信仰なんか捨てて人々の命を救うんじゃない?」と、とんでもないことを言います。
ガルペは迷いませんが、ロドリゴは迷いまくります。
自分の命と生涯を掛けて追求してきた教えに、矛盾を感じてしまうのです。
究極の選択に苦しみ抜くロドリゴを、てのひらで転がしているかのような井上の冷徹さ。
登場人物の心理描写が克明で、クリスチャンでなくても、ロドリゴの葛藤に共感できます。
タイトル「沈黙」の意味
「沈黙」というタイトルには、二通りの意味が込められています。
一つはキリストの沈黙。
信仰のせいで、人々がこれだけ苦しんでいるのに、キリストは沈黙したまま何も語りません。
オープニングのシーンでも、役人が「お前たちの信じているデウスは、どうして助けに来ぬのじゃ!」と処刑される人々をなじります。
沈黙を続けるキリストに、ロドリゴは絶望感を抱きます。
そしてもう一つの「沈黙」は、ネタバレになってしまうので本編で確認してください。
まとめ
春日太一さんの『時代劇ベスト100+50』でも「二十一世紀に入ってからでいうと、間違いなくベストの出来」と激賞されている作品です。

ハリウッドの力をまざまざと見せつけられる大作です。
日本映画で、ここまで重厚な画とテーマの作品を作るのはかなり困難だと思いました。
- 超本格的な時代劇
- 重厚なテーマを扱ったヒューマンドラマ
- 160分という長尺を感じさせないストーリー性