概要
書名 | 輪舞曲(ロンド) |
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著者 | 朝井まかて |
出版社 | 新潮社 |
初版発行日 | 2020年4月15日 |
ISBN | 978-4-10-339972-8 |
定価 | 1,650円(税別) |
「私、女優になるの。どうでも、決めているの」。松井須磨子の舞台に胸を貫かれ、二十七歳で津和野から夫と子を捨て出奔した女は、東京で女優・伊澤蘭奢へと変身した。「四十になったら死ぬの」とうそぶき、キャリア絶頂で言葉通りに世を去った女の劇的な人生を、徳川夢声ら三人の愛人と息子の目から描く、著者一世一代の野心作!
ー新潮社の公式サイトより
本の内容
実話をもとにした小説
- 伊澤蘭奢
- 3人の愛人ー内藤民治、徳川夢声、福田清人
- 蘭奢の息子ー伊藤佐喜雄
この小説で登場する5人の中心人物です。
全員が実在の人物なのですが、恥ずかしながら私は徳川夢声くらいしか知りませんでした。
伊澤蘭奢(1889~1928)は、大将時代に活躍した女優。27歳という遅すぎるデビューでありながら、舞台を中心に活躍し、その演技は芥川龍之介が絶賛するほどの女優になります。
しかし、「四十になったら死ぬの」という口癖の通り、若くして病に倒れ、伝説の名女優として語り継がれます。
時代やジャンル、シチュエーションは全く違いますが、野球の沢村栄治みたいな人でしょうか。
ネットで検索すると写真が出てきます。綺麗な人です。
内藤民治(1885〜1965)はジャーナリストであり、蘭奢のパトロン。遺稿集出版の発案者でもあります。
徳川夢声(1894〜1971)は無声映画の活動弁士から俳優に転身。蘭奢の元夫の遠縁にあたり、旧制一高に不合格となった浪人生時代に蘭奢と関係を結びます。
福田清人(1904〜1995)は児童文学作家。帝大生の時、知人の伝手で蘭奢に出会います。
伊藤佐喜雄(1910〜1971)は、蘭奢が山陰の郷里に置いてきた実の息子。蘭奢の死後に作家となり、著作は芥川賞の候補作にもなります。
そして、作中で編もうとされている遺稿集は、『素裸な自画像』というタイトルで実際に出版されています。
内藤の発案で蘭奢の遺稿集を編むことが決まり、4人の男たちは、それぞれ蘭奢との思い出を回想していきます。
ぶっ飛んだ女性を中心とした修羅場と思いきや…
夫と子を捨てて、故郷を出奔し、27歳という誰が見ても遅すぎる年齢で芝居への道を踏み出した蘭奢。
その経歴や、同時に3人もの男と関係している素行などを見ると、蘭奢はさぞかしぶっ飛んだ性格の持ち主であろうと思われます。
また、母の愛人だったという男たちと共に、実の息子が母の遺稿を編集するという、かなり修羅場な状況。
しかし、淡々とした筆致で描かれる物語は、衝撃的な展開にはなりません。
大事件が起きるわけでもなく、蘭奢が女優として、女性として、母として、何を感じどう行動したかを、4人の男の視線から丁寧に描き出しています。
現在では考えにくいことですが、当時は女優は賤業とみなされ、社会的地位も収入も低い職業でした。
舞台に出演しても、ギャラが貰えるどころか、出演者が持ち出しで参加しなければならないほどです。
チケットを売り歩き、舞台衣裳を自らで繕う日々。
そんな苦しい生活の中でも、自分とは違う何かを演じたいという欲求に突き動かされ、蘭奢は女優としてのキャリアを積み重ねていきます。
自らが予言した通りの死
徳川夢声は、日頃から蘭奢が「四十になったら死ぬの」と予言めいた口癖を言っていたと証言します。
その言葉通りの死は、脳溢血による彼女の病死をいっそう神秘めいたものにします。
夢声は、若い頃に知人の女性が「二十歳になったら死ぬ」という自らの予言通り、投身自殺をしたというエピソードを蘭奢に語ったことがあります。
蘭奢は自分の言葉に影響され、自死を選んだのかもしれないと夢声は考えます。
しかし、演じることの喜びを実感し、女優としての道をどんどん突き進んで行こうとしていた蘭奢が、自殺するとも考えにくいのです。
記憶の旅の終わり
人間の記憶は、自分のことでさえも曖昧だったり、事実と異なった形で書き換えられたりするものです。
ましてや他人のことになると尚更です。
男たちは、遺稿集をきっかけに、蘭奢と自分たちがあのときどういう思いを抱えていたのか、思い出していきます。
蘭奢の遺した文字と、自分の記憶との齟齬を噛み締めながら。
彼らの記憶の旅は、蘭奢の芝居に勇気づけられた意外な人物の言葉で締め括られます。
一世を風靡した大女優でありながら、死後わずか10年で「伊澤蘭奢」の名前は忘れ去られます。
それでも、蘭奢の芝居を今でも心に焼き付け、日々の生きる糧にしている人がいた、ということは4人の男たちの記憶を再び鮮明に彩ります。
まとめ
朝井まかてさんの小説は、とっかかりが少し難しくても中盤くらいになって物語に引き込まれてしまうと、後は結末まで一気に読んでしまいます。
そして、残るのは黒澤映画を観た後のような余韻の残る感動的な読後感。
読書の楽しさを実感させてくれる作家さんだと思います。