概要
書名 | 火定 |
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著者 | 澤田瞳子 |
出版社 | PHP研究所 |
ISBN | 978-4-569-83658-4 |
定価 | 1,800円(税別) |
第158回(2017年下期)直木賞候補作。
奈良時代に起きた天然痘の大流行を題材にした小説。
施薬院(庶民のための病院)に勤める下級役人・蜂田名代(はちだのなしろ)は、自らの待遇に不満を抱き、立身出世を夢見ている。
名代は、献身的に病人の治療に努める医師・綱手(つなで)のことを尊敬しつつも、一日でも早く施薬院を抜け出したいと考えていた。
そんなある日、奈良の都に天然痘が押し寄せる。
罹患者は高熱と醜い疱瘡に冒され、数日で死に至る恐ろしい病だ。
疫病は人から人へと爆発的に感染していき、次々に人が死んでいく。
施薬院には、膨大な人数の患者が押し寄せるが、効果的な治療法は無く、せいぜい気休め程度の対処療法しかできない。
疫病は貴賤を区別せず、庶民ばかりでなく貴族も次々に病に倒れていく。
埋葬も間に合わず、獣の餌になり、腐敗していく死体の山。
地獄絵図と化した都では、怪しげな新興宗教が広まり、疫病の発祥地とされる新羅に対する排斥運動が起こる。
疫病の収束が全く見えない中、名代は自らの命を惜しみながらも、治療法を探すために奔走する。
書評
あくまでも小説。だけど…
歴史書では無く、あくまでも小説ですので、多分にフィクションが含まれています。
というより、ほぼフィクションでしょう。
奈良時代の社会制度や医療制度を研究した上で、当時大流行した天然痘を現代人の視点から物語として構築したのだと思います。
医療も情報技術も何もかも、現代とは比べようもないくらい未発達だった時代に、疫病が大流行すると一体何が起きるだろうか?
という想像から始まった物語でしょう。
そして、起きることは昔も今もほとんど変わっていなんじゃないだろうか、と考えさせられます。
医療崩壊、デマ、排外運動、社会の分断
2017年当時には想像も共感もできなかったかもしれない状況が、この作品には描かれています。
次々に押し寄せる患者に対応しきれなくなる施薬院、デマに惑わされ怪しげな宗教に頼る大衆、病の発祥とされる新羅に対する排外運動など。
コロナ騒動の真っ只中にいる自分には、既視感のある光景が描かれています。
また、物語の中に、名代たち施薬院の人間の対立軸として、猪名部諸男(いなべのもろお)という元罪人が登場します。
諸男は上級の医療官僚でしたが、同僚の誣告による冤罪で投獄されたため、強い厭世感を抱いています。
諸男は、獄中で知り合った宇須(うず)という男とともに、疫病に混乱する人々を扇動し、結果的に多くの人を死に導いてしまうのです。
宇須はニヒリズムの果ての果てまで行っちゃった破滅願望主義者で、さすがに諸男はそこにたどり着くまでに踏みとどまり、良心の世界に帰って来ますが。
パニック状態になった社会では、元から存在した社会の対立・分断が拡大されるのでしょう。
現在のコロナ騒動でも、意見の対立というレベルを超えて、感情的な争いになっているような状況を見ることが増えてきた気がします。
自分たちの力で解決できない難題を突きつけられたとき、極論に頼ってしまうのが人間という存在なのかもしれません。
パンデミックの際に起きることはだいたい決まっているのかもしれませんが、2017年の時点でこの光景を描き切った作者の想像力と洞察力は本当に素晴らしいなと思います。
自己献身を単純に礼讃していない
少し前に「医療関係者の犠牲心に過度の期待を寄せるのは止めて欲しい」という識者のコメントを目にしました。
これは本当にその通りだと思います。
特定の人に責任を押し付けることに成りかねないからです。
(もちろん自己犠牲を全否定するわけでもありません)
患者や買い物客が、医療関係者や店員に対してパワハラを行うのは、「お前らはやって当然」という横柄な意識があるからではないかと思います。
この物語には、綱手という献身的な医師が出てきます。
綱手は単なる自己犠牲心だけで行動しているわけではなく、心の内に秘めたいろいろなコンプレックスに突き動かされているのでは、と名代が綱手を分析する場面があります。
この場面は賛否あると思うのですが、個人的には良いなと思いました。
まとめ
現代のコロナ騒動にそのまま通じている、まさに「今読むべき本」だと思います。
古代の日本がどれだけ貧しかったか、山上憶良の『貧窮問答歌』は学校で習いましたが、いまいちイメージすることができませんでした。
あまり馴染みのない奈良時代に思いを馳せることができるという意味でも、優れた小説だと思いました。
